飛騨んじいのお墓
飛騨んじいのお墓の写真をネットで探したけど見つからなかった。
今日はいいお天気になったので、荘川遠征報告がてら撮影してきました。
左が飛騨んじいのお墓、右が勘左衛門さんの石像。
=====以下、説明のパネルから転載=====
都史跡 上木甚兵衛墓および三島勘左衛門石像
所在 新島新島本村二番地 共同墓地内
指定 昭和33年10月7日
上木甚兵衛は飛騨高山三ノ町の町名主であったが
領民救済運動を起こし捕らえられた。かれは安永4年
(1775)3月、62歳のとき新島に流罪となって、
寛政10年(1798)8月19日、85歳でこの地で病死した。
三島勘左衛門は上木甚兵衛の二男で、父の流罪後、
その看護を志し、江戸に出て奉行に嘆願、
寛政3年(1791)渡島した。以後8年間父の看病に従い、
のち父の墓と自分の石像を造って離島した。
かれは在島中「天明水滸伝」「伊豆七島風土細覧」を著作した。
石像の高さ90センチメートル、胎内に法華経8巻を納めたという。
石像の首部以上は新に補修を加えたものである。
昭和44年10月1日
東京都教育委員会