飛騨んじいのお墓

飛騨んじいのお墓の写真をネットで探したけど見つからなかった。

今日はいいお天気になったので、荘川遠征報告がてら撮影してきました。

左が飛騨んじいのお墓、右が勘左衛門さんの石像。

Img 0221

=====以下、説明のパネルから転載=====

都史跡 上木甚兵衛墓および三島勘左衛門石像

 所在 新島新島本村二番地 共同墓地内

 指定 昭和33年10月7日

上木甚兵衛は飛騨高山三ノ町の町名主であったが

領民救済運動を起こし捕らえられた。かれは安永4年

(1775)3月、62歳のとき新島に流罪となって、

寛政10年(1798)8月19日、85歳でこの地で病死した。

三島勘左衛門は上木甚兵衛の二男で、父の流罪後、

その看護を志し、江戸に出て奉行に嘆願、

寛政3年(1791)渡島した。以後8年間父の看病に従い、

のち父の墓と自分の石像を造って離島した。

かれは在島中「天明水滸伝」「伊豆七島風土細覧」を著作した。

石像の高さ90センチメートル、胎内に法華経8巻を納めたという。

石像の首部以上は新に補修を加えたものである。

昭和44年10月1日

東京都教育委員会

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