獅子木遣

以前、弊社ホームページに掲載してあった文章を転載します。

新島村教育委員会作成の資料と思われます。



 Shishi1

平成9年12月8日・鈴門出し

獅子木遣

 この獅子舞は、古来から十三社神社に伝わる行事であるが、江戸時代初期に江戸の火消頭が新島に流罪となり、その頃から従来の獅子舞とその歌に、江戸の木遣歌を歌いこんでひとつの形をととのえ、江戸の火消の姿を服装として行うようになったので、これを獅子木遣というようになった。

 元来、獅子舞というと、笛や太鼓の囃子でにぎやかに舞うものが多く、他の地方に伝わるほとんどがそうであるが、新島の獅子舞は、どことなく住時をしのばせるような静かで、高貴な振舞であり、しかも木遣歌によって獅子舞を行うのは全国的に珍しく、貴重な艮族芸能として知られている。

 この獅子は、雌雄二頭になっていて、五人ずつ中に入って舞う。獅子を舞う者を獅子衆といい、その獅子衆の服装は、鉢巻法被(中に入る時は脱ぐ)、腹がけ、紺のももひき、白足袋はだし、腰に「火の用心」の巾着をつける。木遣を歌う音頭衆はそれに扇子をもつ。

 拝殿前の石畳をはさんで一同が整列すると、宮司は本殿の大床から獅子頭をもってきて獅子衆に渡す。榊(おはらいの用具)を持った神職を先頭に、四神旗(青龍=東・朱雀=南・白虎=西・玄武=北・の旗)・獅子二頭・金捧引(錫杖)・拍子木・木遺を歌う入々、総勢七・八十名が行列を整えながら二の鳥居の石段前まで進み、ここで獅子は左ひざを立てて臥す。宮司の合図で、拍子木を打ち、錫杖をならすと音頭の歌がでる。木遣衆がこれに歌を合わせると、二頭の獅子は頭をふりながらゆっくり立って石段を降りる。そして、宮司の家に入って二頭とも交互に舞い、宮司の指示を受ける。

 家に入る時は、先ず雄獅子が下座から入って上座から下がり、そのあと雌獅子が上座から入って下座へ下がる。そのあいだ、舞っていない獅子は庭で臥せて待機している。神の使者としての責任をもった獅子は、その後、一の鳥居まで行き、そこからは、雌獅子が原町(主に本村北部)ヘ、雄獅子が新町(同南部)へとそれぞれ別れ、その年に選ぱれた主な関係者の家に行き、同様のしぐさで舞う。途中で歌う木遣の歌詞は、場所によって異なり、厄除、祝賀、大漁満作などを祈ることが多い。獅子の入った家では、親族が集まってその獅子を迎えたあと祝宴を開き、そこの家の光栄をよろこびあう。

 従来は、その日、獅子は両町の副役(昔は若者組副頭、近年は消防の副団長)の家に一泊し、翌日、関係者の家を舞って再び神社の一の烏居に集まり、雌雄そろって神社に納めていたが、最近ではそれを一日で済ませている。この獅子木遺は、毎年行われるものではなく、国や村の太きな祝い事や神社の社殿完成などを祝って行われる。戦後は、昭和25年の遷座三百年祭と、拝殿の竣工を祝って行われた。その後、東京都の文化財になり、保存継承する必要があるため、12月8日の例大祭のよろこびの行事として、保存をかねて部分的に行われるようになった。最近では、昭和46年・48年に、久しぶりに昔の形を復活して行われた。

 獅子木遣は、新島に伝わる神社の神楽と、さらに本村に伝わる大踊とともに、昭和33年10月7日に東京都の無形民俗文化財・都技芸(郷土芸能)として指定を受け、また、昭和50年11月には都遣府県が無形民俗文化財に指定したものの中から国が特に保存したり、広く公聞する必要のある、全国各地に伝わる重要な民俗芸能として無形の民俗文化財に選び、その保存経承の責任と重要さはますます大きくなってきた。

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